对于日本捕鲸问题以及被他国批评原因的研究_日语论文开题报告
编 辑:日语论文网发布时间:2023-09-04

多くの人が知らないのは、イルカとクジラは同じ仲間だ。まずクジラは大きく分類して、髭鯨(ヒゲクジラ)と歯鯨(ハクジラ)の二つに分けられれる。髭鯨は歯がなくて、その代わりに髭をもっている。その髭で、海の中の漂っているプランクトンを主に常食としている。そして歯鯨はその名の通り口腔内に歯牙を有する。そのなか、体長が4メートル以下のハクジラをイルカ、4メートル以上をクジラと呼ぶ。しかし、イルカとクジラは生物分類上の明確な境界はない。 

海は音の世界であり、イルカは音の動物である。太地町における追い込み漁とは十数隻の小型漁船が、沖合い最大十五マイルまで扇形に散開してゴンドウやイルカを探索し、群れを発見すると漁船は音で脅しながら小さな入り江まで追い詰め、そこで群ごと屠殺する漁法である。イルカの群れは音の恐怖から逃げれようと漁船とは反対側に進む。これは漁ではなく狩りであると伴野(2015)が示唆している。 

浅野(2016)はイルカは野生動物として、回遊する習性があるため、国民全体の共有財産であり、多数派によるイルカを守ろうと決めたとしても、誰かの権利を侵害したことにはならないと述べた。これは追い込み漁は今の制度の下では問題にならないが、彼らの権利ではないと指摘した。 

小阪(2009)は「文化は優劣はない。これは世界共通の認識になっている。しかし、じっさいの相互理解はまだまだ不十分だ。環境保護は世界的視野から行なわれなければならない課題である。」と主張した。このことから、反対派と賛成派がどちらが悪いかとはっきり言えないと考えられている。 

伊勢田哲治(2015)は動物倫理の観点からイルカ漁について強い反対論を指摘した。一つはイルカは音声を使った複雑なコミュニケーションをおこなうことや脳が大きいことながら、高い知能を備えているとされる。その故、いろいろなことが理解でき、感じる幸福や不幸もそれだけ多様だと推測される。だから福祉への配慮もその他の哺乳動物より細やかに必要だ、という議論が成り立つ。二つは捕鯨やイルカ漁は、一瞬で気絶させる屠畜や陸上生物の狩猟と比べても苦痛が長引きがちである。とりわけ日本で行われているイルカ追い込み漁はイルカを追い回すことで多大な恐怖を与えていることが推測される。 

現在の小型沿岸捕鯨について、渡邊(2006)は鯨肉等生物をその捕獲された地域外へ流通させることには一定の制限を設けるべきだと考えているので、結果として「自産自消」というかたちでクジラは利用されることになると言われている。 

現代社会の経済システムが少しでも安い肉を買いたいと望む消費者のニーズを優先するあまり、動物の福祉に掛けるコストがやむなくカットされていることも考えられる。企業の立場に立てば、そもそも効率優先の観点から、産業動物の飼育環境を合理化し、コストカットせざるを得ない。また、コストカットした環境についての情報は積極的には公表したがらないという現状もあるだろうと政岡(2015)たちはそう考えている。 

研究内容 

本稿では、まず太地町における追い込み漁を簡単に紹介し、この中での問題点を指摘する。次にクジラと家畜との違いを検討する。最後にこれから捕鯨問題の課題を考えてみようと思う。 

主な問題点 

一体なぜ反対派はイルカやクジラを捕獲してはいけないと思っているのか。それは残酷と思っているだけなのか。それなら資源として豚肉、牛肉、鶏肉とはなんの違いがあるのか。浅野(2016)は「牛や豚や鶏を殺して食へるのが悪いのと同様に、イルカを殺して食へるのも悪い。とちらも同しように悪い。」と述べた。確かにどちらも悪いけれども、筆者は同じ程度とは思わない。 

それに太地町におけるイルカ漁は本当に伝統文化と言えるだろうか。イルカとクジラのにくを食べていいのかなどの問題を解明したい。 


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