第八章 “耻”与“义理人情”[日语摘选翻译]第八章「恥」と「義理人情」
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译文:第八章 “耻”与“义理人情”
一、日本人的“耻”
日本人有一种“爱面子”、“知耻”的行为规范,这是日本封建社会产出的特殊社会意识。关于“名誉”与“耻辱”的想法研究,早在古代就应该有了吧。最初早在《万叶集》里就能见到“追名”“扬名”的思想。到了镰仓时代,这种思想就更加风靡了。根据文献记录,当时镰仓武士都始终坚持“以名誉为首、重名誉”的思想,在当时的人们看来,这种思想已经成为他们生活中最重要的行为规范了。那时,人们都以“好清誉、恶坏名”为准则,尽量在生活中避免蒙羞、受辱。
经过室町时代,关于“名”和“耻”这种意识一直延续到了封建社会的江户时代,当时被山鹿素行、大道寺友山(1639-1730)等人发扬、宣传。大道寺友山在《武道初心集》里提到:“鼓励行义之勇气,常知荣辱,心就无比高尚了”正是重视耻文化的表现。这样武士阶级作为特权阶级,优越商人和农民的点就表现在这里,特别是强调“重名”“知耻”,这在武士道里十分明了地表现出来了。这样在内容上,武士阶级有着上下、垂直构成的从属关系基础的纽带,他们的生活规范形势就体现出来了。就是说,“名”也好“耻”也好,作为“体面”“脸面”的意识思想,很好的阐述了在维持主从关系上不可或缺性。
然而关于商人阶级,商人们在开始拥有经济实力后,就开始不顾主从关系了,只是特别看重“体面”或者“面子”,生活规范开始都以“保全面子”或者“丢失面子”为基准的。像被别人侮辱了啊、犯了罪啊、被喜欢的女人拒绝啊,总而言之,他们只要被别人取笑的时候,一考虑到自己“丢了面子”,不管付出多大的牺牲也要为了“保全面子”而努力。
“名誉”以及“耻辱”意思,另外关于义理的考虑,日本社会从古至今一直都作为一定的规范崇拜着的。日本人独特的思考方法,使日本有如此倾向,比起自觉意识到个人的存在,在现实中存在的人类组织中更加重视人类相互之间的关系。除了重视所生活地方的村、部落,在对外面的时候,虽然不情愿,比较看重别的组织成员对自己的看法。所以重视“名誉”“耻辱”的性格就这样形成了。也就是说,日本社会的基本构造,就是对“名誉”“耻辱”十分敏感的基础上形成的。
关于日本的“耻辱”文化,美国有名的文化人类学家鲁斯•本尼迪库特在《菊与刀》中已给予了很好的阐述。借用本尼迪库特的话,“羞耻是对他人批评的反应。一个人在大众面前被嘲笑,被拒绝,或者回想起被嘲笑时会感到羞耻。不管是哪种场合,耻辱感都有一种强大的强制力在制约。”“他推测或者下什么样的判断,这种判断或者推测就决定了自己的行动。”本尼迪库特指出,日本人比起关心所犯罪的大小更关心所蒙受的耻辱,耻辱文化翻译成英文是“shame culture”,就是“日本的耻文化,不用说对人,就是对神都没有坦白过。虽然有祈求幸福的仪式,但是从来没有过赎罪的仪式。”
重“名誉”,知“耻辱”,这样的生活规范最终只不过是他人本位的理论罢了。“罪的文化”解说了道德上的绝对标准,成了启发良心的契机,在这里,人们因自己的罪恶而烦恼,即使自己做的错事谁也不知;行善事,即使不为人知。自古至今,日本人所欠缺的就是这样的自律性。
据本尼迪库特介绍,日本是以“耻”为基调的文化国家。这种以“耻”为基调的文化就是,“被外力强制而去做善事”,也就是指道德的绝对标准是建立在耻文化中的。比如,像“做这样的事是不好意思的”“那样的想法是丢人的”这样,总是以他人的批评反应作为思考和行动的大致目标。这样,耻辱感就成了社会文化形成的原动力了。
本尼迪库特指出,关于“耻文化”应该和西方基督教“罪文化”有着异曲同工之处吧。基督教里有“原罪”的思想,人类一生下来就背负着很沉重的罪恶感。人类按照神的指示生存为自己救赎。所以,基督教社会所说的“良心”是内心的意识。
因为人们烦恼于不为人值得罪恶,理所当然这样的道德律使自己不得找一个出气孔来卸压,所以就有了“忏悔”意识。他们认为只要坦白了自己的罪行,他所犯的罪就能减轻了。
然后,这样的“罪文化”与“耻文化”又有一些完全不同的东西。第一、“罪文化”是对别人谁也不知道的事情也抱有罪恶感。但是,“耻文化”却要有他人存在的前提的。因为“耻文化”所体现的是“在现实中是否有他人存在或者感到他人存在,才会感到耻辱。”第二、根据感觉他人而产生的耻感,如果他人不存在的情况下行动思考都不会带耻感了。发现道德律的根据是外面强加的,“正确行动的内置强制力是完全不考虑的”。
当然,这样的方法,两者之间的区别是有形式化的,本尼迪库特指出西方人也有存在耻感的人,同时在日本也有存在有罪恶感的人。但是,对日本人比起“罪文化”,更重视“耻文化,这个重要的差别,才使得日本社会构造、国民性,就是全体文化有很大的差别。
西方的罪意识,是从基督教出来的,以忏悔来净化自己。基督教的文化圈就是坦白罪状来赎罪。在日本的耻意识就是,涉及到名分的事都可能会“辱名”。为不“辱名”,就要让那件事彻底消失,以雪耻来净化自己。日本有的“丑上加丑”言语,如果坦白罪状,可能会真的觉得是“丑上加丑”了。这就是日本人平时没什么事的时候经常道歉,而真正做错事的时候,反而却什么也不说的原因。
原文:第八章「恥」と「義理人情」
一、日本人の「恥」
日本の封建社会が育てた特殊な社会意識の中には「名を惜しむ] 「恥を知る]という行為規範がある。「名」と「恥じ」に関する考えは、古代から行われていたそうである。『万葉集』に早く「名を立てる」と言う思想が見られていた。鎌倉時代に至って、この思想が著しく表面に打ち出されてくるようになった。文献によると、縑倉武士は「名こそ惜けれ」と言いつづけて、当時の人たちにとって見れば、これが大切な行動規範だったのである。そこでは、「よき名を求め、悪しき名を忌む」というような恥を忌み、避けようとする態度を生んだのである。
この「名」及び「恥」の意識は、室町期を経て江戸時代の封建社会に引き継がれ、山鹿素行や大道寺友山(1639—1730)によって鼓吹された。大道寺友山の『武道初心集』に、[然れば義を行ひ勇を励むに付けても。兎角恥を知ると申すより外に。心得とては無之候」とあり、恥意織が重視されるのである。このように武士階級が特権階級として、町人や農民に優越をしている点を示すため、特に「名を重んじ」「恥を知る」ことを強調し、武士道論にはっきり現れた。内容的には、上下的、垂直的な構造を有する主従関係基礎的紐帯とする武士階級の生活規範を示すという形をとっていた。すなわち、「名」も「恥」も、主従関係を維持するために不可欠な「体面」、「面目」の意識として説かれていた。
ところが、町人階級が経済的実力を持つようになってくると、町人は、主従関係とは全く関わりなしに、極めて個人主義的な「体面」もしくは「面目」の意識として「一分を立てる」「一分が廃る」という生活規範を掲げ始めてきた。他人から侮りを受けるとか、罪の濡れ衣を着せられたとか、好きな女にふられたとか、要するに人から 笑いものにされた時に「一分が廃れた」と考え、多大の犠牲を払ってでも「一分を立て」よう努力するのである。
「名」および「恥」意識、また、義理の考えは、日本の社会に古くから一定の規範として仰がれていた。日本人の思考方法の特色として、個人の存在を自覚的に意識するよりも、現実に存在する人倫的組織の中における人間相互の間柄を重視する傾向が強い。自分の生活の場としての村、氏などの人倫共同体を重視する以上は、外面的には、自分がその共同体の成員からどのように見られているかが、いやでも重大問題になってくる。そこから、「名」や「恥」を重んずるという心性が形成されるようになる。つまり、日本社会の基本的構造が、「名」や「恥」に対する以上に敏感な感受性を作り上げたのである。
日本人の「恥」意識については、アメリカの有名な文化人類学者のルース・ベネディクトが『菊と花』のなかでよく論じされた事があった。ベネディクトの言葉を借りれば、「恥は他人の批評に対する反応である。人は人前で嘲笑され、拒否されるか,あるいは嘲笑されたと思い込むことによって恥を感じる。いずれの場合においても、恥は強力な強制力となる。」「彼はただ他人がどういう判断を下すであろうか、ということを推測しさえすればよいのであって、その他人の判断を基準にして自己の行動の方針を定める」のである。ベネディクトは、日本人が罪の重大さよりも恥の重大さに気を配っている事実を指して、「恥の文化」shame cultureと呼び、「恥の文化には、人間に対してはもとより、神に対してさえも告白するという習慣は無い。幸福を祈願する儀式はあるが、贖罪の儀式は無い」と述べた。
「名」を重んずるとか、「恥」を知るとか、このような生活規範は、結局、他人本位の倫理でしかないのである。「罪の文化」guilt culture は、道徳の絶対的標準を説き、良心の啓発を頼みにするから、ここでは、人は、自分の非行を誰一人知る者がいなくても罪の意職に悩み、誰一人知る者がいなくても善行を行う。従来、日本人に欠けていたのは、この自律性である。
ベネディクトによれば、日本は「恥」を基調とする文化の国である。「恥」を基調とする文化とは、「外面的強制力に基づいて善行を行う」こと、つまり道徳の絶対基準が恥意識におかれている事を指す。例えば、「こういう行為をするのは恥ずかしい」「そんな考え方 は恥ずべき事だ。」というように、いつも他人の批評に対する反応が 思考や行動の目安とされる。そうして、その恥辱感が、社会の文化形成の原動力となっているというのである。
この「恥の文化」に対して、西洋キリスト教文化の「罪の文化」がこれに相当するだろうとべネデク卜は結論を出した。キリスト教 には、「原罪」の思想があって、人間は生まれながらに深い罪を背負 つた存在とされる。人間は神の教えに従って生きる事で最終的に救済される。だから、キリスト教社会では常に「良心」という内面的意識が問題になる。「人は自分の非行を誰一人知る者がいなくても罪の意識に悩む」のである。そのような道徳律が当然引き起こす圧迫感の心理的通気孔として、「懺悔」のシステムが用意される。人は自らの罪を告甶する事で、その罪が軽減されると思っている。
ところが、「恥の文化」は、こうした「罪の文化」とは全く様相を異にする。第一に「罪の文化」は、他人が誰一人として知らない事に対しても、罪悪感を抱かざるを得ない。しかし、「恥の文化」では、まず他者の存在が必要になる。「恥を感じるためには、実際にその場に他人が居合わせるか、或は少なくとも、居合わせると思い込む事が必要である」からだ。第二に、あくまで他人を意識する事によって「恥」の感覚が生じるのだから、他人がいなければどんな行動や思考に対しても恥ずかしい事はない。道徳律の発現の根拠は、外面的強制力によって生じ、「正しい行動の内面的強制力をぜんぜん考慮の中においていない」という事になる。
もちろん、こうした方法は、両者をパターン化して区別するためであり、ベネディクト自身、西洋人にも恥辱感があり、日本人にも罪の意織が存在する事を指摘している。ただ、日本人は、罪の重大さより、恥の重大きに重点をおき、この重点の度き方の差が、社会構造や国民性、即ち文化全体に大きな違いを生じさせている、というのがベネデク卜の考え方なのである。
西洋の罪意維は、キリスト教の原罪思想から出て、その罪が纖侮によって禊となる。纖悔の告白によって罪が償えると感じているのがキリスト文化圏である。日本の場合は、「恥」意織が、名分に関わっている事になると、「汚名」になる。汚れをきらい、それを取り除き、汚名を雪ぐ方法として「禊」がある。また、「恥の上塗り」という言葉もあるが、告白すると、なおさら恥をかく事になりかねない。このことから、日本人は、間違いが無い時、よく謝るが、本当に間違いを起こした場合には、かえって謝らないことが多い。

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