日本人的自然观[日语文献翻译]日本人の自然観(节选二)
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文章字数: 字 (由Word统计) 文章格式: Doc.docx (Word) 更新时间: 2017-11-28
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译文:不管怎么说,日本人的分析科学并不发达的原因是因为被环境所支配,而并不是因为日本人的头脑比较低级这是确切无疑的。无视日本自古以来的智慧成果的科学而丢脸的例子数也数不清。
在日本人的精神生活的各种现象中,最明了的是,日本的自然、日本人的自然观、或者说概括包含日本的自然和人的一种有机体的各种现象,并且记录支配它们的法则的工具是日本的文学或者各种艺术。
原文:ともかくも日本で分析科学が発達しなかったのはやはり環境の支配によるものであって、日本人の頭脳の低級なためではないということはたしかであろうと思う。その証拠には日本古来の知恵を無視した科学が大恥をかいた例は数えれば数え切れないほどあるのである。
日本人の精神生活の諸現象の中で、何よりも明瞭に、日本の自然、日本人の自然観、あるいは日本の自然と人とを引きくるめた一つの全機的な有機体の諸現象を要約し、またそれを支配する諸方則を記録したと見られるものは日本の文学や諸芸術であろう。

译文:也许《记纪歌谣》并不能被称为文学,例如当中出现的神话中暗示的关于地球物理现象的特异性过去有过叙述,但是被忽略了。
在神话故事或者口传传说中这样的方式里,也有暗示了日本的自然和它的对人交涉的特异性的内容。把《源氏物语》和《枕草子》作为纽带来看,也必须承认的一点是,在指出其中的日本所有的样貌的时候,包含着必须参考的一种书目。
原文:記紀を文学と言っては当たらないかもしれないが、たとえばその中に現われた神話中に暗示された地球物理的現象の特異性についてはかつて述べたことがあるから略する。
おとぎ話や伝説口碑のようなものでも日本の自然とその対人交渉の特異性を暗示しないものはないようである。源氏物語や枕草子などをひもといてみてもその中には「日本」のあらゆる相貌を指摘する際に参考すべき一種の目録書きが包蔵されている事を認めることができるであろう。

译文:最能代表这一点的是短歌和俳句。这两种在短诗中盛行的诗歌,在多数场合中,由于包含了日本的自然和日本人的全机的有机体能够作为日本最具雄辩的谈论自身的唱片来看。这些诗中表现的自然是和科学家所对待的和人割裂开来的自然有着完全不同的情趣。另外,也不是通常说的作为背景从别的地方借鉴用来作为添加的东西。人和自然同化,自然被人所消化。人和自然作为完全的全机的有机体活动时,能自己产生像乐音这样的东西也不是非常夸张。也许在西洋诗和汉诗也有一些这样的倾向,在我知道的浅薄的范围内,外国的诗中一直十分明白的确立自我和外界的对立,从而产生了道理、武装了教训。在万叶短歌和蕉门的俳句中,要找到人与自然浑然融合的东西,在我看来是非常困难的事情。
原文:こういう点で何よりも最も代表的なものは短歌と俳句であろう。この二つの短詩形の中に盛られたものは、多くの場合において、日本の自然と日本人との包含によって生じた全機的有機体日本が最も雄弁にそれ自身を物語る声のレコードとして見ることのできるものである。これらの詩の中に現われた自然は科学者の取り扱うような、人間から切り離した自然とは全く趣を異にしたものである。また単に、普通にいわゆる背景として他所から借りて来て添加したものでもない。人は自然に同化し、自然は人間に消化され、人と自然が完全な全機的な有機体として生き動くときにおのずから発する楽音のようなものであると言ってもはなはだしい誇張ではあるまいと思われるのである。西洋人の詩にも漢詩にも、そうした傾向のものがいくらかはあるかもしれないが、浅学な私の知る範囲内では、外国の詩には自我と外界との対立がいつもあまりに明白に立っており、そこから理屈が生まれたり教訓が組み立てられたりする。万葉の短歌や蕉門の俳句におけるがごとく人と自然との渾然として融合したものを見いだすことは私にははなはだ困難なように思われるのである。

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