「伝統」としての腰肚文化_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-09

第二点我认为是“踏脚和直蹲”。从踏脚站立和直蹲姿势这两方面就可以看出相扑是农民的动作举止的反映。踏脚站立就是打开两腿、使重心下沉。如果腰腿没有力量,人就会摇摇晃晃的。刚开始学习相扑的学生在做踏脚站立时,大部分人是站不稳的。正常站立时不能看出腰腿力量,但做踏脚站立的话,就能清楚地看出来。在大相扑的踏脚训练中,人们往往倾向于只顾着练习落脚,但真正应该锻炼的其实是起支撑作用的两部的侧腰。“只模仿‘自然体’的形态可能不那么难,但是,在腰腿的力量很弱的情况下,试着做像‘自然体’这样的姿势,是不能掌握‘自然体’的技巧的”。在做踏脚训练时,不容置疑的是一定要有用脚抓住地面的感觉,并感受这种从脚掌到腰的张力。踏脚训练结束之后再一次自然站立,可以感觉到下半身的充实感。对于‘自然体’这种身体姿态,光用看是不能理解它的。可以说踏脚训练是感觉腰腿强度的好方法。

直蹲姿势的训练也跟踏脚有同样的效果。相扑强调的是开始于礼、终止于礼,直蹲正是表现这种礼的姿势。直蹲的时候,容易感觉到脚趾根部被扩大。在站立的过程中,最重要的是掌握用脚掌站立的感觉。“《自然的感觉》这本书,并不是单纯的描述自然,而是从可以培养感觉的踏脚和直蹲这两方面来进行说明,目的是让人们认识含有锻炼目的的身体文化。《站在自然上》这本书讲的就是根据生活习惯培养出来的身体文化”。

这个也如上文所说的那样,日本人原来的步行方法和现代是不同的。被称作“南波”的这种动作正是农耕民族的一种独特的方向法。由于近代体育被制度化,“南波”正在逐渐消失。但如今,相扑中最基本的动作还是以“南波”为基础的,这些动作可以增强下半身的强度。所谓的“すり足”就是指手和脚的动作。如果按齐藤所说的话,那么这样的移动方法是不是既要考虑肌肉力量,又要考虑身体柔软的移动呢?其实是“身体的感觉”支撑着这个动作。我们特别要追求的是腰和膝盖的节奏感。它的“秘诀”就是要不断地积累这种身体的感觉使之技能化。

“南波”这种走路方式的效率是不如现代的,这从短跑的姿势就可以明显的看出来。“但是当我从身体文化的角度看这样的走路方式时,我觉得这种文化的衰退,是一种身体固有的感觉的衰退。一个社会的成员几乎都是依靠身体的感觉来生活的,但在百年不到的时间里就消失的干干净净的情况下还不被重视是件严重的事情。身体感觉消失后,我们对走路的基本感觉至今尚未确立”。


第二に「四股と蹲踞」が考えられる。相撲には、農民の身体所作の反映として、四股立ちと蹲踞の姿勢がある。四股立ちは、足を広げて腰を下ろした姿勢をとる。このとき、足腰が弱いとふらついてしまう。はじめて相撲を習う生徒に四股立ちをやらせると、その多くがふらついてしまう。普通に立っているだけではわからない足腰の弱さが、四股立ちをすることで如実にあらわれるのである。大相撲の四股踏みでは、振り下ろす足にばかり気をとられがちであるが、鍛えられていなければならないのは、支えられている側の足腰である。「自然体を形だけまねることはそれほど難しいことではないかもしれない。しかし、足腰が弱いままで自然体のようなポーズをつくってみても、それは技としての自然体にはなっていない」。四股を踏むと、否応なく足で地面をつかむ感覚が必要となり、足の裏から腰までの張力を感じる。四股を踏み終わったあとにもう一度自然体で立ってみると、下半身の充実感を感じることができる。自然体は見ただけでは理解できない。四股立ちや四股踏みは、自然体の足腰の強さを自覚するよい方法となる。

蹲踞の姿勢もこれと同様の効果がある。蹲踞は相撲の最初と最後に礼をするときの姿勢である。蹲踞のときには、足の指の付け根の部分の感覚が、拡大されて意識されやすい。踏ん張るときに最も重要な足の裏の場所だけで立つことで、踏ん張りに必要な感覚を身につけることができるのである。「『自然体という感覚』が、単純な意味での自然ではなく、鍛錬の要素をふくんだ身体文化であることを認識するためには、自然体において重要な感覚が拡大される四股や蹲踞は基本メニューだといえる。『自然体で立つ』ことは、生活習慣によって培われた身体文化であり、技だったのである」。

これもまたすでに論じたように、日本人は元来、近代的な歩行法とは違う、歩き方をしていた。「なんば」と呼ばれる農耕民族独特の方向法である。近代体育が制度化され、「なんば」は徐々にその姿を消してきたのである。しかし今日でも、相撲の動きの中には、「なんば」に基づく身のこなし方は基本のなかに息づいている。この動きを可能にするのもまた下半身の強さである。いわゆる「すり足」と呼ばれる足と手の動きである。斉藤によれば、こうした動き方ができるかどうかは、筋力の問題と同時に、からだの柔らかな動かし方が要求される。この動きを支えるのが「身体感覚」である。特に、腰と膝のリズミカルな感覚がもとめられる。こうした身体感覚が蓄積され技化されたものが「コツ」と呼ばれる。

「なんば」の歩き方は、歩く効率から言えば、近代的な歩き方よりも劣る。短距離走のフォームを見れば明らかである。「しかし、こうした歩き方を身体文化の観点から見たときには、この文化の衰退は、固有の身体感覚の衰退でもある。一つの社会の構成員のほとんどが生活の基本的な身体感覚としていたものが、百年もたたないうちにきれいさっぱりなくなってしまうという事態は、あまり注目されていないが重大である。身体感覚が断絶した後、私たちは歩き方の基本となる感覚をいまだに確立できない状況にいるからである」。

日本泡沫经济 http://www.rylww.com/jingji/

日本人的生死观 http://www.rylww.com/shengsi/

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