日本人の美意識_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2018-10-11

关于日本人的审美意识,不管提出怎样的一般见解,也许都能被举出众所周知的反例,轻易提出异议,甚至可能被驳倒。代表日本美学的日语“雅致”一词已经被收录到英语字典中。在美学表现上, 这一词表现了拘谨缄默以及高尚文雅。确实两者都是日本艺术表现上的典型的特征。但要是真具备这种性格,那种歌舞伎在舞台的华丽感,以及长久以来被日本人认为是美到极致的日光东照宫的艳俗等,该如何说明呢?当然要说几百年来日本人的审美情趣一直没有发生变化,这是不可能的。此外、如果说日本人的喜好没有受社会阶级差异、教育程度不同等因素的影响,也是不可能的。因此、谈到日本美学的一般讨论时,考虑到这些观点是绝对不会有损失的吧。尽管会出现各种各样的例外,但是我想还是可以把某种审美理想称之为日本特有的东西吧。

不要太担心反对论的提出,说不定用几种说法就能把它概括出来呢?第一,在日本人的日常生活中,美的表现是可以认为人进入没有余地的领域等,美的关怀就是无微不至的照顾。在完全现代化、国际化的今天,却从外国来访问日本的东西,几乎没有例外,是因为在驾驶员的头上有真花或者插花,或厕所的墙壁上,都有花优雅的垂下来吧。或者是在某个铁道站的一角,墨痕什么的地方,会看到艺术创造一般的广告牌吧。我凝视望去,看到了“拾物招领处”。这是在着急时侯看到的情景,虽然也会有些烦心事的时候。那个百货商店的服务员说作为艺术性来说就像没有包装的那样。从外国来的参观者,看这样的场景十分吃惊。美的感觉尽然宽广到这样的程度,真的很不可思议。但是,如果试着想想,在西方,巴士、厕所、遗失物放置处等,装饰花或有书法的展示场的话,也是不可思议的。或者,拿一大概是最有名的例子来说,那个绝妙的样子,出色的表现了日本菜的视学的效果。有时味道可能不好,但外国人也会赞美它外观的美。首先,在榻榻米上面铺上的座宽叶香蒲团花色从壁龛的花上开始,到小酱油瓶结束,那样将东西绝妙美感在客厅里被互相组到一起合的一流日本菜的店里。与其说是味觉的体验不如说美学的体验更好。和其他的亚洲的国家对比,想知道日本人的生活中美的位置,就像今天,在雅加达、或从前的上海,一流的中华料理怎么吸引客人的重要性是一样的。


日本人の美意識についてどんな-般論を言ってみても、おそらく誰でも知っている反証をあげて、簡単に異議をとなえられるだろうし、あるいは悪くすると、論破さえされるかもしれない。すでに英語の辞書にも入っている日本美学を代表する日本語に「渋い」という言葉がある。そしてこの言葉が意味する美的表現上の性格は、まず控え目、そして洗練ということだ。確かにどちらも、日本の芸術表現に典型的な性格である。しかしそれならこの性格でもって、あの歌舞伎の舞台で見る華麗さや、長い間日本人自身によって美の極致とされてきた、あの日光東照宮のけばけばしさを、どう説明すればいいというのだろう?言うまでもなく日本人の美的趣味が、何百年もずっと変ることがなかった、などということはありえない。また日本人の好みが、社会的な階段差や、教育程度のちがいによって影響されなかった、ということもありえない。したがって日本の美学についてなにか-般論を言う時には、そうしたことを憶えておいて、決して損はしないだろう。それでもなお、いろいろ出て来る例外にもかかわらず、あるいくつかの美的理想については、どうしても日本特有のものだと言っていいものがあるのではないか、と私は思っている。

反対論が出て来るのをあまりおそれないで、いくつかの概括化が出来るのではないだろうか。まず第一に、日本人の日常生活の中で、美的表現など人入り込む余地はないように思える領域にも、美的配慮が行き届いている事実をあげることが出来よう。生活標準がすべて近代化され、国際化されている今日だというのに、外国から日本を訪れるものは、殆ど例外なく、バスの連転手の頭上に、本物、あるいは造花を入れた小さな花入れ、あるいはトイレットの壁の花籠から、優雅に垂れている花を見るだろう。あるいはどこか鉄道の駅の片隅に、墨痕鮮かに、いかにも芸術的に書かれた看板を見るかもしれなさい。なにかと思って眼をこらすと、なんと「遺失物係」とある。そして、そう言えば、これは急いでいる時など、時にありがた迷惑なこともあるけれど、あの百貨店の店員の、芸術的としか言いようのない包装。外国からの訪問者は、こうした光景を見て驚くのである。美的感覚がそれぼと広く行き届いていることが、いかにも不思議だからだ。しかし考えてみれば、西洋で、バス、トイレット、遺失物置場などか、花を飾ったり、書道の展示場であってはいけないと考えられているのも、また不思議な話なのだ。あるいは、おそらく一番有名な例としては、あの絶妙としか言いようのない、日本料理の視学的効果だ。味にはしばしば裏切られることはあっても、外国人はみな、あの美しさを褒め讃える。まず畳の上に敷いた座蒲団の色、床の間の花に始まり、末は小さいな醤油差しに至るまで、あらゆるものが絶妙な美的感覚で取り合わされた一流料理店のお座敷での日本料理。実にあれは味覚的体験というよりは、むしろ美学的体験と言ったほうがよさそうである。他のアジアの国々と対照して、日本人の生活の中で占める美の位置について知りたいと思えば、今日、ジャカルタで、またはその昔の上海で、一流の中華料理がどのように客に出されるか、あるいは出されたか、を思えげ十分である。

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