企业文化论的诞生[日中翻译]企業文化論の誕生
编 辑:日语论文网发布时间:2017-11-28

译文:企业文化论的诞生

1.1文化和企业文化

英语单词中文化是“Culture”,原意是“耕作”。用农耕生活节奏来理解文化,如果把它替换成:耕作,栽培,培养,养殖,或饲养这些词的话,文化(Culture)的意思就是,在人类和自然的关系中为了达成某种特定的目的而产生的思考方式和劳动行为。

的确,人类在自然劳作的过程,在获得劳作的成果的过程中存在着文化的意思。“耕作”中磨砺“人类的智慧”,智慧的积累成为了文化开始的源头。

那么,难道那些以农耕为生的农民们都是文化人吗?难道耕作土地和耕耘文化是相同的吗?在此,文化有区别于“农民的一面”作为它的另一种,以“教养的一面”被我们大家所熟知。

像耕作土地一样,耕耘着日常生活中的智慧就是栽种着教养。农民是“有文化的人”,它的含义与耕耘智慧的“有教养的人”的含义有着联系。

以此类推,这个推断也可以适用在企业的人员上。所谓教养,就是修养,即:个人的品格。在企业组织中,对职员的教养有无的人事评价是从,职员个人的“举止”,“姿势”或者是,“说辞”,“照顾”,简单地说,就是从行为和形式中的“工作的样子,生活的样子”中的表现来判断的。在企业中位高者的价值观和教育背景成为有教养的行为的范本时,他们传达的信息是作为文化人的企业人的品格。

1.2什么是企业文化

接下来,让我们从前文所述的文化的意思中来探求企业文化的意思。如果企业文化的定义也是这样从文化定义的延伸来理解的话,就可以说:企业文化是组成“企业的生存方式”的“想法”和“行为模式”。

可是,在这里直面的根源性课题是,关于 “企业是什么”这个问题的本质的探求,它与“人类是什么”这种问题一样的。

在此之下,确立了结构稳定的商业的“经营哲学”/“基本理念”(“普遍企业哲学”),并在此理念基础上衍生出“体系思考”/“经营理念”(“特殊企业哲学”)。

换句话说,虽然前提是结构不变,但是,因为环境的变化也有导致结构改变的情况发生。在这种情况下,与结构变化相应的体系思考和规范该体系思考的行为的系统化是动态的战略性的。

举例来说,日本的终身雇佣制,年功序列制或内在于企业工的日本文化中的家族观念。换言之,就是存在不变的结构思考和变化的体系思考这两种方式。公司高举着疑拟家族主义的旗帜,即使把企业哲学,企业战略,企业文化作为实现高度成长,但在这之后的不景气时期,公司也被要求进行企业文化的本质性转变。因此,日本式经营中的核心价值的构造思考(例如:丰田的终生雇佣制)残存的同时,也有为了削减成本通过变化体系思考使企业持续雇佣:期间职员,合约职员,临时职员等加入这类过渡期的哲学和战略。

有意思的是,在此之后的经济景气和企业经营良好的情况下,接二连三的出现了之前所没有的不良商品和缺陷商品之类的问题,这时可以看到这样的现象,即:很多企业把临时职员转正,恢复并修正以终身雇佣制为基础的企业文化。日本家族观念的企业哲学,即使是:疑拟家族主义,作为“结构不变的一面”在这里可以窥知一二。


原文:企業文化論の誕生

1.1文化と企業文化

英語でいう文化とは“Culture ”(カルチヤ一) という言葉である。その意味は“耕す”ということ。文化を農耕生活リズムで理解し、耕作、 栽培、培養、養殖、あるいは飼育という言葉に置き換えると、文化(Culture)の意味が、人間と自然との関係での、ある特定の目的と達成への考え方と働きの形の意味となる。

なるほど、人間が自然に働きかけ、その成果を得る過程に文化の意味がある。“耕す”過程に“人間の知の”が磨かれ、その知の蓄積が文化の根源的な意味となる。

さてそれでは、日常の生活に田畑を耕す農民は総て文化人なのだろうか。土地を耕すことが、 文化を耕すことと同じ意味なのだろうか。ここに、文化が“農民の顔”とは別にもう1つ顔としての、“教養の顔”があることを私どもに教えてくれる。

土地を耕すように、日常生活の知を耕すことが人に教養を植え付ける。農民が“文化の人” であるという意味には、知を耕す“教養の人” の意味へと連鎖する。

同じことが、会社のビジネスマンにもあてはまるだろうか。教養とは、“たしなみ”、即ち、 個人の品格である。会社組織の中で教養のあるなしの人事評価は、その個人の“仕草”や“身振り”、あるいは、“言葉使い”や“気配り”、 簡単、に言えば“動き”と“形”の「仕事の様•生き様」から表出する。会社の中で上に立つ者の価値観と教育の背景が、教養ある行動の形になるとき、その者たちは、“文化人としての” 会社人間の品格を情報発信している。

1.2企業文化とは何か

さて次に,前述した文化の意味から企業文化の意味を探るとしょう。企業文化の定義も,これまでの文化の定義の延長で理解すれば,「企業文化とは,"企業の生き様"となる考え方(Way of Thought)と行動の型(Pattern of Behavior)なり」,ということになる。

だが,ここで直面する根源的課題は,「人間とは何か」への問題認識と同じように「企業とは何か」についての本質的な答え探しである。

だが、その場合でも、変わらない構造としてのビジネスの「経営哲学」/「基本理念」(“普遍の企業哲学”)が確立していて、そこから変わる「システム思考」/「経営理念」(“状況の企業哲学”)が導きだされてくる。

言い換えると、構造は変わらないことが前提だが、それでも、変わる構造が環境変化によつて生じてくることがある。その場合に構造変化に見合うシステム思考とそのシステム思考を規範とする行動のシステム化が動態的かつ戦略的なものとなる。

事例で言えば、日本の終身雇用制度や、年功序列制度や、あるいは会社組合に内在する日本文化の家族観、即ち、変わらない構造思考と変わるシステム思考とがある。会社が擬似家族主義を掲げて、企業哲学、企業戦略、企業文化を基盤にして高度成長しても、その後の不況期において、会社は企業文化の質的転換を求められた。そこで日本的経営の中枢価値の構造思考(例えば、トヨタ型の永年雇用主義)を残しながらも、変わるシステム思考で期間社員、契約社員、そしてパートの臨時社員の採用で、コスト削減を図り企業継続(Going Concern)のために過度期的な哲学と戦略を取り入れた。

面白いことに、その後の景気回復と企業活動の好調で、これまでになし、不良商品や欠陥商品の続出問題がでてくると、多くの会社は臨時社員を正規社員へと組み込み終身雇用体制の企業文化の構造へと修正的に回帰する現象がみられた。日本の家族観を価値内包する会社哲学を、 たとえ擬似家族主義といえども、“変わらない構造の顔”としてここに窺い知ることができる。

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