日本人的审美意识—物哀[日语文献翻译]日本人の美意識-物の哀れ
编 辑:日语论文网发布时间:2017-11-28

译文:日本人的审美意识—物哀

日本人的审美意识是“物哀”。所谓“物哀”,是触动时能感觉到人生的微妙之处和虚幻的令人铭记在心的情趣。日本的音乐韵律单调,舞蹈动作缓慢,寺院很朴素,画画回避艳丽的色彩……,为什么会变成这样,这些全部都是由日本人的“物哀”的审美意识造成的。

“物哀”是经过很长的时间,从“悲哀”发展而来的。奈良时代,平安时代初期,追求神、民族、国家共同体中的“真诚”意识就是从“悲哀”发展而来的。古代神话、历史传说、歌谣等的口传文学首先呈现出“真诚”意识,基于那个,“悲哀”的审美意识萌芽了。

“あはれ”最初是由“あ”和“はれ”二个感叹语组合而成的,根据人们劳动、信仰等发展而来的喜悦或是悲伤的言词,是某种本能的的感慨。文化还在混淆的时代,还没呈现出其他的文学表现形式,像这样的感叹词作为“歌”出现在古代的原始歌谣中。“あはれ”用日本汉字表现的话,是“哀”,看字的话,就能领会其哀愁的意义。

《万叶集》传承以上感叹的作用,“哀れ”作为独立的感叹语被大量的使用。那种赞叹和哀愁是基于个人全部感情的基础上产生的。

“哀れ”在被广泛的使用的时候,已渐渐的从单纯的感叹向物质和精神合一的意识发展,“哀れ”有悲哀、同情、爱怜等感伤的感情倾向。把可怜的对象作为主体时,表现人的真情的“悲哀”是通过“誠”的美学精神来表现的。同时,在对象中融入主观的感情,就会由情绪方面的演变成情趣方面的感动,只是“哀れ”不能完美地表现这样的感情,理念。这个时侯,在对象上加上“的”,结合“悲哀”,“物哀”就第一次表现出来了。“哀れ”是到平安时代才最终演变成“物の哀れ”,由感动的意思变成特别的情趣的意思。

《源氏物语》促进它的发展,成为了日本民族审美意识的主体。紫式部在《源氏物语》中以“誠”为基础,从“哀れ”发展到“物の哀れ”,内容也丰富了,有表示赞美、亲爱、共鸣、同情、可怜、悲伤等内容。还有,感动的对象超越人和物的界限,社会事态也扩大了。根据调查,在《源氏物语》中,“哀れ”大概出现了1044次,“物の哀れ”出现了14次。因此,还可以说从“哀れ”到“物の哀れ”的审美意识的发展是由紫式部完成的。

可以说“物哀”在日本人的人生观中影响最大的是生死观。它的主体是寻求“瞬间美”,在美丽的瞬间追求恒久不变的寂静。川端康成主张死是最高的艺术,是一种美的表现,艺术的顶峰是死灭。古代日本人把自己比喻成樱花,通过自杀使刹那间的美变成人生的一个终点。他们殉死的意义也是寻求瞬间的生命之光,谋划着在死灭中寻求恒久不变永远的安静。为此,寻求生命在一瞬间光芒四射,是“物哀”的重要的特质。

由于“物哀”的影响,日本人的精神世界和其他的民族也是不同的。一般认为日本国旗纯白的底色也是受了那个的影响。日本人喜欢白色,白色就像雪一样的,雪象征纯洁,而且雪容易融化,包含无常的哀的感觉,与日本人的感伤的性格非常符合。日本的歌舞伎表现悲哀的场面时,避开夸张的动作,多是安静地表露悲伤的动作,使在场的观众能更加深刻的感受到她们表现的悲哀心情。世界大多数国家的国歌都是雄壮的,可是,日本的国歌却是悲调的,连摇篮曲都有这种悲伤和怜惜的心情。像这样,“物哀”强烈的感化力影响着日本人的心,日本文化也开辟了独自的道路。


原文:日本人の美意識-物の哀れ

日本人の美意識には「物の哀れ」がある。「物の哀れ」というのは、人生の機微やはかなさなどに触れた時に感じる、しみじみとした情趣。日本の音楽が単調なリズム、舞踊が緩やか動作、寺院が素朴な様子、画が派手な色彩を避け……どうしてこうなったのかといえば、これらは全部日本人の「物の哀れ」の美意識からなるのである。

「物の哀れ」は長い時期をかけて、「哀れ」から発展したのである。奈良時代、平安時代初期,神、民族、国家共同体を追求する中の「誠」意識から「哀れ」が出た。古代神話、歴史伝説、歌謡などの口承文学からまず「誠」意識が現れ、それを基づいて、「哀れ」という美意識が芽生えた。

「あはれ」派最も「あ」と「はれ」と二つの感嘆語の組み合わせてして、人々労働、信仰などの衝動で発した喜び或いは悲しみの言葉で、ある本能的な感慨である。文化がまだ混沌していた時代には、他の文学の表現法がまだ現れていないから、このような感嘆語は「歌」として古代の原始歌謡に現れたのである。「あはれ」は日本漢字で表現すると、「哀」になる。字を見ると、哀愁の意味を読み取れる。

「万葉集」は以上の感嘆作用を伝承して、「哀れ」を独立の感嘆語として多く使われていた。その詠嘆と哀愁は全部個人の感情をもとに出たものである。

「哀れ」広く使われるうちにだんだん単純の感嘆から物心合一の意識まで発展して、「哀れ」で悲哀、同情、愛憐など感情を感傷的な傾向がある。可憐な対象を主体として,人の真情を表現した「哀れ」は「誠」の美学精神と通じる。同時に、対象の中に主観的感情的に入り込んで、情緒的から情趣的感動になったから、「哀れ」だけではこんな感情、理念を完璧に表せない。この時、対象の上に「の」を付け加えて、「哀れ」と結んで、「物の哀れ」がはじめて出た。「哀れ」は平安時代にやっと「物の哀れ」 になって、感動的意味から特別な情趣的意味になったのである。

『源氏物語』はその発展を促して、日本民族の美意識の主体になった。紫式部は『源氏物語』には「誠」を根底にして、「哀れ」を「物の哀れ」に発展して、内容も豊富にして、賛美、親愛、共鳴、同情、可憐、悲傷などの内容を表す。また、感動の対象も人と物の限界を超えて、社会世相まだ拡大した。調査にすると、『源氏物語』には「哀れ」は1044回、「物の哀れ」は14回現したそうだ。だから、「哀れ」から「物の哀れ」の美意識まだ発展したのは紫式部によって完成したと言える。

「物の哀れ」は日本人の人生観に一番大きな影響は生死観と言える。その主体は「瞬間美」を求めて、美しい瞬間で永久不変の静寂を求める。死が最高の芸術、1種の美の表現で、芸術の極致が死滅だと川端康成は主張する。古代日本人は自分を桜に例えて、瞬間美の観念を自殺で人生の極点になる行為に転換した。彼らの殉死の意義も瞬間の生命の光を求めることにあって、死滅の中で永久不変の静かさを求めることを企む。そのため、生命を求める一瞬の間はばっと光り輝いて「物の哀れ」の重要な特質である。

「物の哀れ」の影響で日本人の精神世界が他の民族と異になっている。日本の国旗が純白を下色にしたのもその影響と思われる。日本人は白色を愛して、白色が雪のようなためで、雪が純潔を象徴し、しかも雪は解けやすくて、無常の哀感を含んで、日本人の感傷な性格とたいへん符合する。日本の歌舞伎は悲しい場面を表現する時、誇張の動作を避けて、多くは静かに悲しみを辛苦した動作で、観衆に更に深い方面からこの場面の表現した悲しい気持ちを感じ取らせる。世界で多くの国の国歌は雄壮で、しかし、日本の国歌は哀調を持ち、子守歌さえも悲しみと可愛がりの気持ちがある。このような「物の哀れ」の強烈な感化力で日本人の心が影響されて、日本文化も独自の道を切り開いたのである。

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