论《春琴抄》_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2019-08-30

论《春琴抄》_日语外文翻译

译文:

松子作为谷崎润一郎的理想女性,是他最后一位妻子。这是谷崎润一郎在昭和七年九月二日,写给松子的信。信里这样写道:

(前略)能和您共度一生,即使我身体死去,也是觉得无比幸福的。这四十五年来,托您的福,艺术之门终于向我开启。以前我一直不能创造出我崇拜的女性,从今天开始,只要想象您,我就可以创造出来了。实际上《盲人故事》就是我记挂着您,想要去盲人按摩创造出来的。希望今后能继续托您的福,让我的艺术世界更加丰富多彩。只要想到您,我就会涌现出无限的想象力。但是我很怕被误解,对我而言,不是艺术造就了您,而是您造就了艺术。如果您和艺术势不两立,那我很乐意丢弃艺术。(后略)

这封信送到松子之时,谷崎润一郎已经完全感到他和丁未子夫人的婚姻已经走到了尽头,那时候就开始了分居生活。

这是谷崎润一郎极度的利己主义导致的结果。

谷崎是一个一直追求理想,并且想在生活中实现的人。他与千代分手,因为她和他理想中的艺术女性形象相去甚远。转而和能满足他身体和心灵需求的丁未子在一起,最终他又把自己心中高不可攀的松子放到了最高的地位上。

然后,谷崎以松子为原型写了好几篇作品,被誉为是名作的《春琴抄》也是这样诞生的。这实际是在松子的影响下完成的,这本书也使谷崎作品到了一个新的境界。研究谷崎作品的人,能很明显地感受到这一点。

“明治时代之后的现代文学的文坛里,没有放下笔,或者说没有放下笔甚至开拓了艺术的另一方面的成功者就是谷崎润一郎。”

在三田文学十一号刊登的永井荷风的《谷崎润一郎的作品》的契机下,谷崎作为一位作家崭露头角是在明治四十四年的时候。

这个时候,文学界已经有被自然主义所支配的倾向了,随着自我意识的觉醒,作家们开始描写自身。这种文学已经成了主流。而谷崎则是在这个时候确立了与自然主义对立主义作家的地位。

《刺青》、《恶魔》、《恋母记》、《痴人之爱》、《吉野葛》等在谷崎五十三年的写作生涯里所诞生的作品中,恶魔主义、恋母情结、崇拜西洋的思想分别都有体现。在昭和十一年的时候,作为最经典的作品的《春琴抄》诞生了。

《春琴抄》在文坛上得到了很高的评价,同时这也是谷崎在身边的生活中获得的真正的艺术。日语论文:http://www.rylww.com/paper/sort01/list_2.html


原文:『春琴抄』論

谷崎潤一郎が理想の女性とし、最後の妻とした松子。その松子に谷崎は、昭和七年九月二日、このような手紙を書いている。

(前略)一生あなた様に御仕へ申すことが出来ましたらたとひそのために身を亡ぼしてもそれか私には無上の幸福でございますはじめて御目にか〜りました日からぼんやりさう感じてをりましたが殊に此の四五年来はあなた様の御蔭にて自分の芸術の行きづまりが開けて来たやうに思ひます、私には崇拝する高貴の女性かなければ思ふやうに創作か出来ないのでございますがそれがやうく今日になつて始めてさう云う御方様にめぐり合ふことか出来たのでございます。実は去年の「盲目物語」なども始終あなた様の事を念頭に置き自分は盲目の按摩のつもりで書きました、今後あなた様の御蔭にて私の芸術の境地はきつと豊富になること」存じます、たとひ離れてをりましてもあなた様のことさへ思つてをりましたらそれで私には無限の創作力が湧いて参ります。しかし誤解を遊ばしては困ります私に取りましては芸術のためのあなた様ではなくあなた様のための芸術でございます(中略)もしあなた様と芸術とが両立しなくなれば私は喜んで芸術の方を捨てンしまひます(後略)

この手紙を松子にあてた時、谷崎はすでに丁未子夫人との結婚生活に限界を感じ、別居生活を送っていた。

それは、谷崎の甚だしいエゴイズムがもたらした結未であった。

常に理想を追求し、それを実現しようとした谷崎潤一郎。彼は、自分の芸術を確立するには疎ましい存在となってしまった千代と別れ、肉体的にも精神的にも満足の得られる相手、丁未子を手に入れたことで、一時は自分の理想をものにしたと確信していた。しかしやがて谷崎は自分の中で、高根の花の存在であった松子が理想の女性として頂点に位置していることに気付くのである。

その後、谷崎は松子をモデルにしていくつかの作品を描き、文学史上名作といわれる「春琴抄」を生み出すことになるのであるが、その際に松子が谷崎に与えた影響、そしてそれによって完成された谷崎文学の新境地とは果たしてどんなものであったのか。谷崎文学全体の流れを捕えることにより、明らかにしてみたい。

「明治現代の文壇に於て今日まで誰一人手を下す事の出来なかった、或は手を下そうともしなかった芸術の一方面を開拓した成功者は谷崎潤一郎である。」

三田文学十一月号掲載の永井荷風『谷崎潤一郎氏の作品』を契機に、谷崎が作家として花々しくデビューしたのは、明治四十四年のことであった。そのころの文学界は自然主義の支配的傾向にあり、自我に目覚めた作家個人が自分自身の姿を描く、という方向性の文学が主流であった。そんな中で、谷崎は自然主義にまっこうから対立する主義を持つ作家としての地位を確立した。

「刺青」「悪魔」「鬱を恋うる記」「痴人の愛」「吉野葛」など、五十三年間の執筆活動の中で生み出された谷崎の作品は、悪魔主義、母恋い、西洋嗜好、古典回帰という流れを展開してゆき、昭和八年かつてなかった最高傑作として「春琴抄」が現れたのである。

この「春琴抄」が文壇内で高い評価を得たのは、ひとえに谷崎が自身の生活の中に真の芸術を獲得したからなのであった。

さて、ここで問題になってくるのが、谷崎が得た真の芸術の正体についてである。


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