夏目漱石《心》:先生与我_日语外文翻译
编 辑:日语论文网发布时间:2019-08-31

夏目漱石《心》:先生与我_日语外文翻译

译文:

我钦佩夫人的理解能力。她的举止不同旧式日本妇女的地方,引起了我的注意,并使我感到一种刺激。她几乎从不使用当时流行的所谓时髦语言。

我是个从未同女人有过深交的迂腐的青年,只是出于男人对异性的本能,常常把女人当做憧憬的对象梦想过,但那不过是像眺望依恋的春云般的心情,模模糊糊的梦想而已。因此真的一到女人面前,我的感情常常突然会起变化。但是不会被出现在自己面前的女人所吸引,反而一到这种场合,却觉得有一种奇妙的排斥力。而面对夫人,却丝毫没有这种感觉,也从未感觉到横亘在普通男女只见到额那种思想上的差距。我忘记了夫人是个女人,只把她当作先生的诚实的批评者和同情者来看待的。

“夫人,前些日子我问过您,先生为什么不进一步做些社会活动,那时您说过,她原来不是这样的。”

“说过的,真的不是这样。”

“那时是什么样呢?”

“就像你所希望和我所希望的那样,她是个有出息的人。”

“那怎么突然就变了呢?”

“不是突然,是逐渐变成这样的。”

“这期间,您一直同先生在一起吧?”

“当然拉,我们是夫妇啊。”

“那么先生变成这样的原因,您应当很清楚了。”

“难就难在这儿呵。你这样说真让我难受。我怎么也捉摸不透,以前我不知道多少次请他说个明白,却总得不到说明。”

“先生怎么说?”

“他只是说:‘没什么可说的,没什么可担心的,我的性格就是这样’,便不再提了。”

我沉默了,夫人也不往下说了。下房离的女佣人一点声响也没有。我简直把小偷都给忘了。

“你不认为我有责任吗?”突然夫人问我。

“不。”我答道。

“请你坦率地说吧。给人家这样想,比杀死我还痛苦。”她又说:“尽管如此,我仍然愿意为他奉献一切。”

“既然先生也认为是这样的,就不要紧,您放心吧,我敢担保。”

夫人习惯的扒了扒火盆离的灰,随后把水罐里的水给铁壶续上,铁壶马上不响了。

“我终于忍受不住问了先生;‘我要有不对的地方就直接了当说吧,能改我就改。’于是先生说:‘你没有什么错,有错的是我。’我痛苦极了,哭了起来,越发想听听自己的过错。”

夫人眼中噙满了泪水。

以后骂我常常去看望先生。每次去先生都在家。随着见到先生的增多,我登先生的家门越来越频繁了。

可是先生对我的态度,无论是初应酬的时候,还是有了深交以后都阿密友多大变化。先生总是那么沉静,有时过于沉静而显得孤独。一开始我就似乎发现先生怪异得难以让人接近。可是,不知怎的,这反倒鼓起我非要接近他不可得强烈愿望。也许在许多人当中,对先生有这种感觉得只有我吧。然而,唯独我才有这种感觉,后来得到事实得验证,所以即使说我幼稚也罢,笑我愚蠢也罢,能以自己得直觉预见到这一点,的确使我觉得自己是有希望而又可喜的。能爱别人,有不能不爱,可是当有人正要投入自己怀中时,却又不能张开双臂去拥抱,这便是先生。

正如前面所说,先生始终是沉静而稳重的。可是偶尔有一阵奇怪的阴云掠过他的脸,就像窗外那飞鸟儿黑影,一闪便立刻消失了。我头一次发现先生眉宇间的那种阴云,是在杂司谷墓地突然喊他的时候。他那瞬间的奇怪表情,曾使我心脏里一向奔流的血潮,一下子就变得迟缓了。然而那不过是一时的停滞,还不到五分钟,我的心脏就回复了正常的跳动。我也就忘记了这云影。使我突然回想起这件事的,是十月小阳春过后不久的一天晚上。

我同先生说着话,眼前突然浮现出先生特意指给我看的那颗大银杏树。我一算计,离先生每月照例去扫墓的日子,刚好还有三天。这第三天正是我下午没课的轻松日子。我就对先生说:

“先生,杂司谷的银杏树的叶子,大概已经落光了吧?”

“也许还没有。”

先生一边这样回答,一边注视着我的脸,目不转睛的看了好一会儿。我马上说:

“这次去扫墓,我同您做伴好吗?我像同您一起去那儿散散步。”

“我是去扫墓,不是去散步的。”

    “可是顺便散散步,不是挺好吗?”

 先生什么也没有回答,过了一会儿,说:”我真的只是去扫墓。“他仿佛一定要把扫墓和散步截然分开似的,这是不是不想带我取得借口,或者还是有其他什么原因?我觉得那时先生简直像个孩子。令人奇怪,就更想去了。

 “好吧,扫墓也好,请带我一道去吧。我也去扫扫墓。”

 其实我觉得硬要把扫墓和散步截然分开,似乎毫无意义。这时,先生眉宇间有些暗淡了,眼中也露出异样的光彩。那仿佛是困惑、厌恶、恐惧和略带恍然不安的样子。这时,我木然的想起在杂司谷喊“先生”是的情景,两次表情完全相同。

 “我,”先生说,“我有不能对你说出的某种原因,我不想跟外人一起去那儿扫墓。连自己的妻子也没有带去过。”日语论文:http://www.rylww.com/paper/sort01/list_2.html


原文:先生と私:夏目漱石『こころ』

私は奥さんの理解力に感心した。奥さんの態度が旧式の日本の女らしくないところも私の注意に一種の刺戟を与えた。それで奥さんはその頃流行り始めたいわゆる新しい言葉などはほとんど使わなかった。

私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた。奥さんに対した私にはそんな気がまるで出なかった。普通男女の間に横たわる思想の不平均という考えもほとんど起らなかった。私は奥さんの女であるという事を忘れた。私はただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥さんを眺めた。

「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」

「ええいいました。実際あんなじゃなかったんですもの」

「どんなだったんですか」

「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」

「それがどうして急に変化なすったんですか」

「急にじゃありません、段々ああなって来たのよ」

「奥さんはその間始終先生といっしょにいらしったんでしょう」

「無論いましたわ。夫婦ですもの」

「じゃ先生がそう変って行かれる原因がちゃんと解るべきはずですがね」

「それだから困るのよ。あなたからそういわれると実に辛いんですが、私にはどう考えても、考えようがないんですもの。私は今まで何遍あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」

「先生は何とおっしゃるんですか」

「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」

私は黙っていた。奥さんも言葉を途切らした。下女部屋にいる下女はことりとも音をさせなかった。私はまるで泥棒の事を忘れてしまった。

「あなたは私に責任があるんだと思ってやしませんか」と突然奥さんが聞いた。

「いいえ」と私が答えた。

「どうぞ隠さずにいって下さい。そう思われるのは身を切られるより辛いんだから」と奥さんがまたいった。「これでも私は先生のためにできるだけの事はしているつもりなんです」

「そりゃ先生もそう認めていられるんだから、大丈夫です。ご安心なさい、私が保証します」

奥さんは火鉢の灰を掻き馴らした。それから水注の水を鉄瓶に注した。鉄瓶は忽ち鳴りを沈めた。

「私はとうとう辛防し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」

奥さんは眼の中に涙をいっぱい溜めた。

私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数が重なるにつれて、私はますます繁く先生の玄関へ足を運んだ。

けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意になったその後も、あまり変りはなかった。先生は何時も静かであった。ある時は静か過ぎて淋しいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感が後になって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまた嬉しく思っている。人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。

今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が射すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間に認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞に過ぎなかった。私の心は五分と経たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春の尽きるに間のない或る晩の事であった。

先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏の大樹を眼の前に想い浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。その三日目は私の課業が午で終える楽な日であった。私は先生に向かってこういった。

「先生雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまったでしょうか」

「まだ空坊主にはならないでしょう」

先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。

「今度お墓参りにいらっしゃる時にお伴をしても宜ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」

「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」

「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好いじゃありませんか」

先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参と散歩を切り離そうとする風に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。

「じゃお墓参りでも好いからいっしょに伴れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」

実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安らしいものであった。私は忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。

「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻さえまだ伴れて行った事がないのです」


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