浅谈日本人的妖怪信仰_日语论文开题报告
编 辑:日语论文网发布时间:2022-03-19

日本の文学作品やアニメ及びドラマによく妖怪が出てくる。なぜ日本人はそんなに

妖怪を好んでいるのか。その原因を究明するために、たくさんの資料を調べておいた。

以下、参考になる主な資料をまとめておく。

まず、『お化けの研究』という著書には、お化け、妖怪、幽霊の違いや、妖怪種類の紹介と著者の信じる妖怪説について論じた。簡単に言えば、妖怪とは宵と暁の薄明かりの時に現れる人間的な姿である。それに、妖怪の正体の前身は非人間的あるいは人間的で、相手を選ばないものだ。正体がばれたとき前身に戻るので、日常性を回復する。ある意味で、「お化け=妖怪」とみなす。それに対して、幽霊は相手を選んで夜中で人間の姿で出現するものだ。正体がばれた時は他界へ去るので、日常性を持たない。次は妖怪話の形式で、妖怪像を描かれた。たとえば、座敷童の由来、出生、行動などの紹介は印象に残った。この本はいろいろな知識を与えてくれて、妖怪の研究に大切な資料だといえる。

次は、『私的妖怪論』という著書は妖怪の出生を中心に考察した。妖怪の出生については、二つに分けられている。一つはアニミズムによって妖怪が生まれたのだ。もう一つは妖怪が思想から生まれたので抽象化された存在である。前者というと、やはり古来の人々は自然界の全てに感謝と畏怖を持っていたから、動植物に神や妖怪が宿るというアニミズムを信じる。古代において動植物たちに不思議な力があると考えられたわけだ。後者は人の思想が観念化して妖怪を生み出したという論に基づく。例えば、東洋の竜や中国の麒麟などは観念を形にしたものだ。総じていえば、妖怪は何らかの「象徴」であるといえる。妖怪はただの妄想でなく、我々自身の思想の象徴だともいえる。しかし現代になって、科学などの発達につれて、人は妖怪を単なる妄想として認識するようになる。本書は考察を通して、妖怪の出世に限らず、現代人が妖怪に対する扱いが見える。それに、私たちは妖怪説を完全に否定することができないと私は思う。妖怪という存在は人が自然や動植物に対する感謝と畏怖の念を含めている。もし妖怪を否定すれば、ある意味で、人間が最強といったように何も怖がらずに世界を独り占めすることになる。

また、妖怪学の第一人者の小松和彦の『妖怪は人間や文化を考えるための「装置」』という文書に、妖怪出世、文化での特徴と妖怪変遷について話した。小松さんは「妖怪は人間や文化を考えるための「装置」」と提出した。まずは、妖怪は人間の闇、恐怖から生まれたものだ。そして、文化で日本の妖怪はヨーロッパと違って必ずしも善悪で分けられなく、両面性を持っている。最後は、日本で妖怪の変遷は大体三階段に分けられる。①古くは自然や動物などに対する畏敬の念をベースにした妖怪が誕生した。知る通りに、日本は資源に貧しい国である。また、自然の恵みを生きる糧として暮らし、今よりずっと自然の出来事や動物とも近しい関係にあった昔の人々は、今よりはるかに不思議な自然現象に遭遇する機会が多かったことだ。それは不安の元だ。あの科学が発達していない時代に、なぜこんなことが起きたかの問題と求めようとしても答えはないだろう。そして、妖怪を利用して、心を慰めるのだと思う。②時代が下がると「百鬼夜行絵巻」などのように人工物から生まれた妖怪は登場した。③社会がさらに成熟してくると、今度は人間関係が生活の重要な要素となり、人間の幽霊、妖怪が主流になる。いずれにせよ、妖怪はその時代の社会や文化を映っている。それに、時代の変わりにつれて、文化の異なりによって、妖怪も違ってくるだろう。

最後に、『妖怪ブームに影響されて妖怪「一反もめん」が飛んだ』という記事がある。この記事は兵庫県の某所で撮影された「一反もめん」についての紹介だ。日本に

は妖怪の名前がたくさんあるからみると、日本人と妖怪と密接な関係があるに違いない。妖怪「一反もめん」は正体不明なものだが、漫画の影響か、実態とだいぶ間違えたイメージで広がっている。事実、何枚も撮影された「一反もめん」は変形UFOだろう。筆者は「妖怪と呼ばれた物体は、今で言うUFOの変形バージョンではないだろうか」と推理している。迷信や伝承には必ずそのもととなった事実が存在すると指摘している。妖怪というものの伝承は歴史がある。それに、科学が発達しなかった古代に

は説明を求めようとしても求められないだろう。そして、人は説明できない現象や物体などを妖怪と名付けてやると私は思う。


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